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2024年5月29日

歴史建築さんぽ~商家編~【近江八幡・五個荘】

営業担当のIです!今回は近江商人の邸宅を巡る歴史建築さんぽをお届けします。
近江八幡と五個荘に残るお屋敷の数々を実際に訪れたレポートになっています!

今回あらためて、近江商人の偉大さ、滋賀という土地柄の底力を実感。
建築的にも興味深いポイントが数多くありました。

住まいだけでなく、趣きある街並みの魅力も満喫してきましたよ。
地元の方はもちろん、京都や大阪からも訪れる価値大いにあり!
ぜひお出かけになってみてください。

近江商人屋敷めぐり【近江八幡】

近江八幡は、国内はもちろん海外にも商いを展開した近江商人のふるさと。
JR近江八幡駅からバスで5分ほど、小幡町資料館前で降りると、歴史ある通りが広がります。

江戸末期から明治にかけて建てられた豪商の邸宅が並ぶ街並みは、
県下ではじめて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

ヴォーリズ建築も数多くあり、どの通りを歩いても写真を撮りたくなってしまいます!
日本家屋が並ぶ先にヴォーリズによる教会が見えるのも近江八幡ならでは。
カフェやアンティークのお店、近江牛のレストランなどもあり、一日楽しめますよ。

45畳の大広間が圧巻! 旧伴家住宅

一軒目は、江戸時代初期の豪商、伴家のお屋敷です。
現在残っている建物は、七代目が江戸時代後期に建てたもの。
当時としてはめずらしい三階建てで、非常に規模が大きく、構造も豪快な建物です。
明治以降は役場や学校、図書館として活用されてきたそうです。

中に入ると広々とした土間に圧倒されます。
幅約4.5m、奥行きは約13.6mもあります!
土間の広さが商いの規模を物語っているようですね。

座敷の一角には八幡の伝統工芸である小物が展示されていました。
着物の端切れが使われていて、質素倹約の精神が伺えます。

2階の一角にある小部屋。
大切な話をしたり、帳簿を付けたりしていたのでしょうか…。

大きな建物の中に小さく囲まれたスペースを設けることで、落ち着ける空間になっています。
現代の住宅にも活かせそうですね。

圧巻なのがこの大広間。
45畳もあり、かつては伴家が扱っていた蚊帳を作る部屋だったそうです。
説明書きでは「蚊帳を縫う人が80人、縁を付ける人が50人…」とありました。

驚くのが、7間もある(約13.63m)奥行きを一本の梁で支えていること。
横に渡る6本の梁も豪快です!
赤松が使われているそうですが、これを調達できたことがすごいですよね。
また3階部分では、屋根裏の頑丈な構造を見ることができますよ。

■住所
滋賀県近江八幡市新町3丁目15番地

■交通
・JR「近江八幡」駅から近江鉄道バス長命寺線で「小幡町資料館前」下車、徒歩約2分

>>公式サイトはこちらから
https://www.kyu-banke.com/

3階建ての蔵が珍しい、旧西川家住宅

次に訪れたのが、西川利右衛門家です。
入り口周りは軒を低くし、門構えもごくさりげない感じで、通り過ぎてしまいそう。
でも、この控えめかつ簡素ですっきりとした佇まいに惹かれます!

通路を進んで建物に入ると、高い天井と奥行きのある土間空間がとってものびやか。
きっと、たくさんの人や荷物が日々行き交ったのでしょうね。
商家における土間の重要性を実感します。

土間から見渡した広い座敷。
店の人や家族が応対する場でもあったのでしょうか。
必要に応じて戸は開け閉めしていたと思いますが、 “店”としての造りになっていますね。

奥にある座敷は、端正ですっきりと洗練されています。
欄間などにも華美な装飾はなく、とても都会的な印象です。

興味深かったのが、おままごとの道具たち。これ以外にもたくさんあり、どれも本格的です!
手広く商いを手がける主はほとんど自宅にはいなかったそうで、
普段は奥さんと子どもとわずかな従業員が家を守っていたのだとか。
各地から、おみやげ代わりにおままごと道具を持ち帰っていたのかもしれませんね。

めずらしい3階建ての蔵(内部は見学不可)。
代々大切に家財を受け継いでいたことが伝わってきます。

■住所
滋賀県近江八幡市新町2丁目19番地

■交通
・JR「近江八幡」駅から近江鉄道バス長命寺線で「小幡町資料館前」下車、徒歩約2分

>>公式サイトはこちらから
https://www.omihachiman-shiryoukan-kawara.jp/nishikawake/

一軒民家をはさんで隣には、近江八幡市立資料館(郷土資料館・歴史民俗資料館)があります。
また、その向かい側が旧伴家住宅ですので、まとめて見学できます。

“おふとんの西川”の西川甚五郎本店史料館

こちらは“おふとんの西川”で有名な西川家の資料館です。
西川家の創業は永禄9年(1566年)と伝えられていますので、西川は450年を超える老舗企業なんですね。

西川甚五郎本店は、天正15年(1587年)に初代が構えた本店で、12代目であった昭和17年(1942)年頃までは、
歴代当主が暮していたそうです。 本店の建物は通常非公開ですが、史料館は一般公開されています。

蔵を利用した史料館はコンパクトながら、映像や音声などで展示が工夫されています。
西川家の歴史を通して近江商人の活躍や精神に触れることができ、一見の価値ありですよ。
西川甚五郎本店は春と秋に特別公開されており、公式サイトで告知されるようです。
また、下記の西川チェーンのサイトで建物内部が詳しく紹介されています。

▼西川創業の地に今も残る「西川甚五郎本店」。
貴重な建物の内部をお見せします。
https://www.nishikawa1566.com/contents/nishikawa-chain/about/history02

■住所
滋賀県近江八幡市大杉町14番地

■交通
・JR「近江八幡」駅から近江鉄道バス長命寺線で「新町」下車すぐ

>>公式サイトはこちらから
https://nishikawa-omihachiman.jp/museum/

近江商人屋敷めぐり【五個荘】

午前中に近江八幡の散策を終えて、五個荘に向かいました。
JR近江八幡駅まで戻って、能登川駅まで新快速で約6分。
さらにバスに乗って10分ほどで、近江商人屋敷と歴史ある寺社が並ぶ五個荘金堂地区に到着します。
こちらも、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

地区内に入ると、まずあるのが「金堂まちなみ保存交流館」(上の写真)。
ボランティアの方が運営されていて、観光案内のほか、コーヒーや地元物産の販売をされています。

車の場合は、観光案内所とみやげもの店がある「ぷらざ三方よし」が便利。
無料駐車場が利用できるので、五個荘めぐりの拠点になりますよ。

五個荘も街が美しく保たれていて、商業的な看板などもないため、まるでタイムトリップしたかのよう。
どの通りも魅力的で、角を曲がる度に写真を撮ってしまいます!

小幡人形の展示も!中江準五郎邸

一軒目に訪れたのが中江準五郎邸です。
中江準五郎は、昭和初期に朝鮮半島や中国で百貨店を約20店舗も展開していた、中江家4兄弟の末の弟です。

海外で商売を展開されていたからなのか、広い土間はなく、建物に入るとすぐ奥に座敷があります。
よりプライベートな自宅としての趣きがあり、どの部屋からも庭が眺められて、居心地のよい空間でした。

奥の蔵には、五個荘小幡町の郷土玩具、小幡人形が展示されていました。

伝統的な土人形で、原色の色使いが鮮やか。素朴でどこかユーモラスな人形たちです。

庭には水が引き込まれていて、琵琶湖の形の池が作られています。
石灯籠や巨石、庭木や草花がバランスよく配置されていて、それほど広くないのですが、
ダイナミックで生き生きとした印象の庭でした。

2階からはもう一つの蔵と庭が見えます。
こちらの部屋は、ドラマ「悪魔が来りて笛を吹く」で、
金田一耕助(吉岡秀隆さん)の下宿先としてロケが行われたそうです!

窓まわりが、さりげなく凝っているのも素敵。
出窓風になっていたり、雪見障子のようになっていたり。
欄間のデザインも少しずつ異なっています!
全体に家族で落ち着いて過ごしておられたことが伺える、趣味のいいお屋敷でした。

■住所
滋賀県東近江市五個荘金堂町643

■交通
・JR「能登川」駅から近江鉄道バス神崎線で「金堂」下車、徒歩約3分
・「ぷらざ三方よし」横のきぬがさ駐車場(普通車100台)から徒歩約6分

>>公式サイトはこちらから
https://www.higashiomi.net/media/miru/a147

湖国が生んだ作家の生家、外村繫邸

次は、中江準五郎邸のすぐ近くにある外村繫邸へ。
こちらの外村家は4代目外村宇兵衛の妹みわが婿養子吉太郎を迎えて分家したのが始まりです。

吉太郎は、宇兵衛本家の京都店に勤め、明治40年に独立。
東京日本橋と高田馬場に木綿呉服問屋を開き活躍しました。
その三男として生まれたのが外村繫で、第一回直木賞候補にもなった作家でもあります。

こちらで驚いたのが土間の中の浴室です。

井戸から水を汲んですぐ横の水槽に入れると、
地下の配管を通って自動的にお風呂に水が送り込まれる仕組みになっているんです!

当時としては画期的だったのではないでしょうか。
また、天窓や高い位置に窓があり、採光がよく考えられているなと感心しました。

小座敷では外村繁が執筆していたこともあったそうです。
まて、床の間が通常よりも奥行きが浅く造られています。
裏側に収納だんすを設けているからだそうで、柔軟な工夫が施されています。

私が心奪われた空間が「髪結の間」。
柔らかな陽ざしで支度ができるよう、あえて北側に設けられています。
しかも光を遮らないよう、雨戸が邪魔にならない特殊な造りになっているのだとか。

閉鎖的な部屋ではなく、廊下の一角のような場所にあり、左右の部屋からも行き来できます。
しかも右側手前には収納だんすもあるんですよ!

さっと支度ができるように工夫されていて、とても合理的。
奥様のご意見が採用されたのかなぁ、なんて想像するのも楽しいですね。

階段の大津壁の光沢が見事!さわってみると、本当にツルツルです。
大津壁は土壁を仕上げる際に鏝(てこ)で何度も押して、さらに磨き上げて、なめらかにしたもの。
大津で良質の白土が採取できたことに由来するそうです。

2階には立派な座敷がありました。

床の間も大きく、格の高い造りですね。

隣には茶室がありますので、お客様にお茶をふるまって、そのまま座敷でお料理を出したり、話をしたりしていたのかも。
2階にあることで、眺めもよく、人の出入りや往来の気配から距離感があり、落ち着きをもたらしています。

座敷の裏側には小部屋があり、奥の出入口でつながっています。
家族で使われていたようですが、茶事などの際には、荷物を置いたり身なりを整えたりする待合いや、
お料理の準備をする水屋替わりにも便利だったのではないでしょうか。

ごく浅い奥行きですが、床がしつらえてあるのも素敵。現代の和室にも活かせそうです。
華美ではないけれど、さまざまな工夫が詰まった“ザ・注文住宅”といった印象でした。

■住所
滋賀県東近江市五個荘金堂町631

■交通
・JR「能登川」駅から近江鉄道バス神崎線で「金堂」下車、徒歩約5分
・「ぷらざ三方よし」横のきぬがさ駐車場(普通車100台)から徒歩約8分

>>公式サイトはこちらから
https://www.higashiomi.net/media/miru/a149

迎賓館と私邸の対比に注目!藤井彦四郎邸

外村繫邸を見学し終えたのが15時頃。
次の藤井彦四郎邸へは徒歩約20分と聞いて、「あきらめようかな~」と悩みましたが、せっかくなので訪問。

もうこの立派な入り口からして圧倒されます。
結論として、行ってよかった!こちらだけ少し離れていますが、絶対おすすめです!

藤井彦四郎は近江商人の三代目藤井善助の次男として生まれ、後に分家。
スキー毛糸の創業者として知られる実業家で、進取の精神により一代で成功を収めました。

屋敷は敷地総面積が8,155㎡、建物面積は710㎡。
こちらの座敷は、昭和8~9年(1933・1934年)に迎賓館として建てられた建物の一部です。

広大な庭園を望む、広々とした続き間は見事のひとことです。
90年余り経っていますが、非常に美しく保たれていて、畳も当時のままだそうですよ。

最も奥の間は一段と豪華な造り。床の間は格天井が組まれています。

廊下もこの通り。広くて長い!

総ヒノキ造りの材の良さが伝わってきます。
1930年代は、アジアとの繊維貿易が盛んになり始めた頃。近江商人の才覚と財力、
日本が経済成長を遂げた華やかな時代が偲ばれます。

廊下でつながっている洋館の内部。

彦四郎がスイスの山小屋に憧れて建築したものだそうです。
調度品はイギリスの客船を買い取って、船内で使われていたものを配しているとのこと!

洋館の外観がこちらです。
彦四郎さんはハイカラで豪快な人柄だったんでしょうねぇ。

迎賓館の豪華さに驚きつつ廊下を進むと表れるのが、本宅です。
明治初年頃に建てられ、迎賓館建築の際に移築したものだとか。
打って変わって簡素で素朴な佇まいに、またまた近江商人の精神を垣間見ることができました。

ちなみにこの本宅は、目黒 蓮・今田美桜主演の映画「わたしの幸せな結婚」のロケ地にもなったそうですよ。
豪華な迎賓館と実質的で簡素な本宅の対比が印象的な藤井彦四郎邸でした。

■住所
滋賀県東近江市宮荘町681

■交通
・JR「能登川」駅から近江鉄道バス神崎線で「金堂竜田口」下車、徒歩約17分
・駐車場(普通車27台)

>>公式サイトはこちらから
https://www.higashiomi.net/media/miru/a150

まとめ

いかがでしたか?欲張って近江八幡と五個荘を巡った建築さんぽ。
今回はご紹介できなかったのですが、それぞれの街にはまだまだ見学できる施設や趣きのある通りがたくさんあります。
どちらか一方だけでも充分一日楽しめると思います。

近江商人の堅実さと国内・海外に商いを広く展開した柔軟な積極性や先見の明。
あらためて滋賀か秘めた底力を体感することができました。
ぜひ、初夏のお出かけプランとして検討してみてくださいね。


※2024年5月28日時点の情報です。詳しくは各公式ホームページをご覧ください。

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