私の育った家は、静岡県浜松市の高台に今もあります。子どもの頃、私は自分の家が大好きでした。庭が見渡せる、一面のフランス窓、家族がみんなで座れる、大きな木のダイニングテーブル、飛び降りて遊んだ、子ども部屋の二段ベッド。ひとつひとつのものに、数え切れないほどの思い出がありました。家は、私の空想を育てる巣であり、世界のありかたを学ぶ学校であり、感性を養う場。私の声や、言葉や、想いの後ろには、いつも、呼吸していた家の空気があります。
敷島住宅のイメージソングのお話をいただいたのは、昨年(2012年)の秋でした。わざわざお時間を作ってライブにいらしてくださった敷島住宅のみなさんとお会いして、家づくりに対する想いや、曲のイメージのご希望などを伺っているうちに、私はなぜか、浜松の自分の家のことを、思い出しました。窓から入るひかり、父や母や弟たちの笑顔。私が、うたを届けたいのは「あの頃の両親や私のような人たちだ」と気づいたのは、その時です。これから一緒に、人生の旅を歩いてゆく家族の、つながりのお祝い、それを育む場所。
美しい花の種のような、そのイメージを見つけてからしばらく、私はそれをそうっと寝かせておきました。無理やりすぐにメロディや歌詞を掴み出そうとせずに、地中の種に水をあげて、芽が出るのを待つように。一緒に音楽を創ってくださることになった、コーコーヤのギタリスト、笹子重治さんとお話をしながら、イメージを分かち合って、ゆっくり、音にしてゆきました。メロディや歌詞は、いろいろなときにふと、降りてくる。お風呂に入っているときや、電車に乗っているとき、空を眺めているとき。
仮録音の日までに、曲は、3つも出来上がってしまいました。一緒に創った曲を、笹子さんに伴奏していただいて歌いながら、何もないところから、美しいものが生まれてくることの驚きと喜びを味わったことを、今も思い出します。
録音は、東京の自由が丘にある、ひかりの入るスタジオで行いました。普通は伴奏を先に録音して、そのカラオケに合わせて歌を録音するのですが、私たちは最初から、みんなで一緒に演奏して歌いました。互いの音を聴き合い、響き合って生み出されるアンサンブルが、何より大切だったからです。バイオリンの江藤さんとクラリネットの黒川さんも入って、ぐっと奥行きを増した、コーコーヤの演奏。その豊かさに彩られて、シンプルなメロディが、その深い本来の意味を語り出すのが聴こえてくる。歌いながら、私は泣きそうになって、そして、その想いを声に変えました。
出来上がった音楽は、呼吸のゆらぎの中に、ほんとうの気持ちが表れるときの、深い静けさが聴こえるような、そんな音になったなと思います。一番大切な誰かに、愛してることを伝えるときのように。饒舌ではないけれど、誠実で、あたたかで、幸せな。
私たちが作った音楽が、敷島住宅のメッセージとともに、たくさんの方々に届くことを、本当にありがたく、うれしく思います。この曲が、聴いてくださる方々にとって、ほっとしたり、大切なものを思い出してくださったりする時間になることを、こころから願ってやみません。